大津地方裁判所 昭和29年(ワ)46号 判決 1955年12月15日
原告 藤善円聚
被告 真宗大谷派
主文
原告の請求はこれを棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告が昭和二十七年七月十九日付でなした原告を重懲戒五年に処する旨の判定は無効であることを確認する。被告は原告に対し金五十万円を支払え。被告は原告に対し本判決確定後被告が最初に発行する真宗紙上に四号活字で別紙<省略>記載の公告文を掲載せよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに金員支払の点につき担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求の原因として次のように述べた。
一、被告真宗大谷派は、本山本願寺を中心として、これに属する寺院、教会その他の所属団体、僧侶及び檀徒、信徒を包括する宗教法人であり、原告は、被告に属する僧侶であつて、昭和十七年五月十一日被告に属する恩徳寺の住職に任命されたものであるが、被告の審問機関である審問院は、昭和二十七年七月十九日原告を重懲戒五年に処する旨の判定をなし、同年八月十五日発行の真宗八月号紙上にその旨の公告をした。
二、しかしながら右の判定は次の理由によつて無効である。すなわち、
(イ) 恩徳寺は、昭和二十七年三月二日被告との被包括関係を廃止することになつたが、右の廃止は宗教法人法附則第十三項に該当する場合であつたので、恩徳寺は右被包括関係の廃止を含む同附則第五項の規則を制定し、同年六月十六日所定の公告をすると共に翌十七日到達の書面をもつてその旨を被告に通知をしたところ、被告の審問院は、右廃止を防ぐため恩徳寺の住職である原告を解任することを目的として、本件判定に及んだものである。従つて、右の判定は宗教法人法第七十八条第一項に違反し、同条第二項によつて無効のものである。
(ロ) 被告は、同派に属する僧侶の非違行為等に関する審問及び判定を行う為審問院を設けその手続規定として審問院条例を制定しているのであるが、該条例第十三条乃至第十五条によれば、その審問は特別の場合を除き被申告者を召喚して行うことを要し、召喚をうけた者が欠席判定を申出たとき、または疾病その他正当理由なく指定された日から十五日以内に出頭しないとき以外は、すべて被申告者の陳述を聴かなければ判定をなし得ないことに定められている。しかるに、審問院は、本件判定をするに当つてこれら除外事由がないのに原告の陳述を聴かず欠席のまま判定をしているのであつて、その手続に重大な瑕疵があり、無効である。
(ハ) さらに本件判定は、その理由として「被申告者(原告)は恩徳寺住職就任以来しばしば門徒との間に紛擾を重ねて来たが、私情によつて多数の門徒その他の不信を招き、昭和二十五年頃より門徒が本堂へ参詣することが出来ないようにし、門徒の法務を執行せず、布教及び教化を行わず、寺院の定例法要をも執行せずして、住職の職分と寺院の護持とを怠り、寺院を全く荒廃させた」との事実を挙げ、右事実に基いて原告を重懲戒五年に処したのであるが、右認定の事実には甚しい誤認がある。即ち原告は、昭和十八年頃当時居村の区長であつた藤井貞八がその職務を執ることができなかつたので、区長代理とし、区民に対する生活物資等の配給事務に従事していたところ寺の檀徒総代たる山野寅吉が原告を無視し、配給物資の不正受配を強要する等の暴挙に出たので、原告がその不正を阻止しようとしたところ、同人はこれを激怒し、部落民を使嗾して原告の恩徳寺住職排斥運動を起し、昭和二十二、三年頃自らその主謀者となり、檀徒から住職排斥運動に関する連署をとり、本山たる被告に対し、原告の住職罷免を要求するに至つた。しかし被告がこれを取り上げなかつたため、同人及びこれに同調する一派は暴力によつて原告を恩徳寺の住職たる地位より追わんことを謀り、昭和二十五年三月十六日原告が檀家たる西林トメ方に赴くや、排斥派の一人山野勇祐が「貴様の様な奴が何故参つた、帰れ帰れ」と原告を罵倒し、あまつさえ同派の一人山野幸祐が原告を殴打し、同年九日二日原告が布施を横領したと警察署に虚偽の告訴をし、昭和二十五年八、九月頃恩徳寺の庫裡と本堂との通路を板囲いして原告等家族の通行を遮断し、或は深夜庫裡に対し、又は通行中の原告及び家族の者に対し投石し、事毎に原告の宗教活動を妨害すると共に、一方檀家の者に対しては、法要の為その自宅に原告を招くことを禁じ、これに違反する者は相当の制裁を加える旨を告げるなど、脅追的手段を弄して多数の檀徒を自己の側に引入れ、もつて檀徒の寺への参詣を阻止し原告の法務の執行、布教及び教化、寺院の定例法要の執行等を全く不能ならしめたのである。従つて、原告には前記判定に挙げられているような非違行為は全然なく、本件懲戒処分は著しい事実誤認に基いてなされた無効のものである。
三、以上の如く、前記審問院は恩徳寺が被告との被包括関係を廃止することを防ぐ目的で、その住職である原告に対してことさら無根の事実を認定し、上叙判定をなしたのでありこれがため原告は、被告の大谷派におけるすべての役職務を差免され、教師、衣体、学階及び褒賞を褫奪され、堂班は最下位に降し、自坊外での僧侶の分限を行うことを禁止された者として取扱われるに至り、またかかる判定が公告せられた結果、その名誉信用を著しく毀損されるに至つたのである。右の違法なる判定が合議体たる審問院を構成する審問員の故意に出たものであることは上述したとおりであるが、かりにそうでないとしても、苟も僧侶の非違行為の審判の如く被判定者にとつて重大なる影響を有する判定をなすに当つては、その任に在る者は条例その他の準則を遵守するは勿論、事実認定に当つて細心な注意をもつて厳正公平な判定をなすべき義務があるのに本件においてはその義務を怠り、前述のような重大な過誤を有する判定をなしたものであつて、この点において過失の責を免がれない。
四、かくして、原告が本件違法なる判定及びその公告によつて蒙つた名誉信用に対する損害はこれを金銭に見積ることのできない程甚大なものであるが、原告が恩徳寺の住職たる僧侶で権僧都たる教師の地位にあり、その他原告の年令、経歴、地位等から考え金百万円と算定するのが相当であるところ、前記審問院は、被告に属する僧侶の非違行為等に関する審問及び判定をなす機関で、その職務に関する限り被告を代表する者であり、上叙損害は審問院がその職務を行うにつき第三者たる原告に加えた損害であるから、宗教法人法第十一条により被告においてこれが賠償の義務を有するものである。かりに、審問院が右法条にいう被告の代表者に当らないとしても、民法第七百十五条によつて、被告にその賠償責任がある。
五、よつてここに被告に対し、本件審問院の判定が無効のものであることの確認と、前記損害金の内金五十万円の支払並びに原告の名誉回復のための新聞公告とを求めるため本訴に及ぶ。
とかように陳述した。<立証省略>
被告訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、答弁として次のように述べた。
一、被告が原告主張のような宗教法人であり、原告が被告に属する僧侶であつて、原告主張の日恩徳寺の住職となつたこと、被告の審問機関である審問院が、原告主張の日に原告を重懲戒五年に処する旨の判定をなし、且つこれを真宗紙上に公告したこと、右判定をなすにつき原告の陳述をきかなかつたこと、及び原告主張の日にその主張の如き被包括関係廃止に関する通告があつたことは、いずれもこれを認めるが、その余はすべて争う。
二、本件審問院の判定には何等違法の点はない。すなわち、
(イ) 原告は、右判定は原告が当時その住職であつた恩徳寺が、被告との被包括関係を廃止することを防ぐ目的でなされたものだと主張するが、右懲戒処分をするに至つた理由は、判定書に明記されている如く、原告が恩徳寺の住職となつて以来門徒と紛擾を重ね、その不信を招き、門徒の法務、布教及び教化、寺院の定例法要等を執行せず、住職の職分と寺院の護持を怠り、寺院を荒廃に帰せしめた非違行為に基くものであつて、毫も原告主張の如き目的に出たものではない。
(ロ) 本件判定をなすに先立ち、審問院は原告を尋問するためその期日を昭和二十七年七月十九日と定めて、同月十二日右召喚状を原告に送達したところ、原告はすでに被告との被包括関係を廃止しているとの理由で出頭しない旨の回答があり、念のため同月十五日重ねて被告より出頭方申入れの書面を送つたが、原告はその受領を拒否したので、欠席判定の申出があつたものとみなして欠席判定をしたものであつて、何等手続上の違法はない。
(ハ) 次に原告は本件判定の理由とされている事実は無根のものであると主張するが、右の事実は、恩徳寺の紛擾事件について調査をした近江国第二組長山本秀子、右紛擾事件の調停委員長近藤正雄等より被告に提出された文書、及び恩徳寺の檀家よりの意見書等によつて極めて明かであつて、事実誤認の点は些かも存しない。
三、なお、審問院は被告大谷派の代表機関ではないから、その行為について被告が宗教法人法第十一条に基く損害賠償の責を負う理由はない。
とかように述べた。<立証省略>
理由
被告が原告主張のような宗教法人であり、原告が被告に属する僧侶であつて、原告主張の日恩徳寺の住職となつたこと、被告の審問機関である審問院が、原告主張の日に原告を重懲戒五年に処する旨の判定をなし且つこれを真宗紙上に公告したことは当事者間に争がない。
一、原告は、右懲戒処分は、原告が恩徳寺と被告との被包括関係を廃止しようとしたことに関しこれを防ぐ目的でなされたものであると主張するが、右懲戒処分は原告に後記の如き非違行為があつたことを原因として行われたとものであることが後段三に挙示する各証拠及び成立に争なき甲第十二号証によつて明かであり、却つて本件口頭弁論の全趣旨に徴すれば、原告の右の如き非違行為が本山において問題となり、これがため懲戒をうけるに至る虞があつたので、原告はこれを逃れる目的で、上叙被包括関係を廃止しようとの挙に及んだものである這般の事情を推知するに難くないところであるから、右主張は理由がない。
二、次に原告は、被告大谷派の審問院が本件判定を行うに当り、審問のため原告を召喚しながら、不出頭のまま原告の陳述をきかずに懲戒処分を行つたのは違法であると主張する。成立に争のない乙第四号証同第五号証の一、二、同第七号証に、証人大橋暁、松内秀雄の証言及び原告本人尋問の結果の一部、竝びに右証言に徴して真正に成立したものと認められる同第六号証を総合すれば、審問院は昭和二十七年七月十九日を原告尋問の期日と定め、同月十二日附書面で原告に出頭を命じたところ、原告はすでに被告との被包関係を廃止する手続をしているから出頭しない旨を回答し、よつて審問院は同月十七日さらに重ねて原告の出頭を促がす書面を送達したが、原告はその受領を拒否し右書面はそのまま返戻されて来たので、審問院はやむなく原告不出頭のまま本件判定に及んだものである事実が肯認されるのであつて、被告大谷派の審問院条例によれば、審問会に召喚をうけた者が欠席判定を申出たときは、その陳述をきかないで判定をなし得ることに定められており(第十五条)、原告の前叙の如き出頭拒否の所為はこれをもつて単なる消極的不出頭に止まらず、むしろ、暗黙に欠席判定の申出をしたものと解するのが相当であるから、本件の場合審問院が原告欠席のままその陳述をきかずに判定をしたとしてもこれをもつて違法ということはできない。
三、さらに、原告は本件懲戒判定の理由として挙げられた事由はすべて事実無根であつて、右判定には著しい誤認があるというけれども、証人近藤正雄、伊藤祐覚、山本秀子、真島祐教、松内秀雄、藤井貞八、山野勇祐等の各証言及び右証言に照して成立を是認し得る乙第二号証の一乃至五、同第三号証の一乃至四によれば、原告は恩徳寺の住職に就任後間もなく住職の地位を世襲制に改めてから、檀徒に対する態度がとかく横柄に亘り住職の権限をふり回して事毎に檀徒との間に紛争を重ね、ために漸次檀徒の信頼を失い、昭和二十五年頃檀徒の有力者から原告の住職排斥運動が起り、檀徒の大部分がこれに同調し、本山に対し原告の住職罷免を要求するに至つた。本山は当初これを取り上げず話し合による円満解決を図ろうとしたのであるが、双方が強硬のため紛争は深酷かつ長期化し、檀徒は葬式、法要等を他寺に頼んで原告を招かず、一方原告は生活の資を得るため行商に出歩いて寺を留守にし、布教は勿論、法要儀式を行わず、恩徳寺の宗教的機能は殆んど失われる状態となつたので、被告に属する京都教区教務所長において昭和二十七年六月頃近江国第二組長等に右紛争の調停方を委嘱し、再三双方の斡旋を試みたが、全然譲りあいが得られなかつたので、調停委員会は原告の一時的退任によつて事態を収捨する以外に途なしと考え、これを原告に勧告したが、原告はあくまで自己の立場を主張して譲らず、ついに調停も不調に終つた。よつて同所長はやむなく最後の手段として、昭和二十七年七月七日正式に宗務総長宛原告の懲戒申告をなし、審問院において審議の上恩徳寺を荒廃させたのは原告が住職の本分を忘れ、いたずらに門徒と紛争を重ねその不信を招いた結果によるものと認め同月十九日本件懲戒処分をしたものであることを認めるに十分である。もつとも、証人山内末吉、山本賢一等の証言によれば、事ここに至るについては山野勇祐等を主導者とする恩徳寺の檀徒側一派の者等にもその非があつたことは否定できないところであるが、その紛争の全過程において原告が門徒の教化に当るべき寺院住職としての自己の本分を忘れ、終始檀徒と対等の立場に立つてこれと拮抗し、恩徳寺紛擾処理委員会の調停斡旋に対しても自己の我意を固執して一歩も譲歩せず、ために檀徒等の感情を益々激昂せしめ、ついに拾収すべからざる事態に引込み、恩徳寺の寺院としての機能を殆んど喪失せしめるに至つた点において、原告の側にもまた住職としての適格なきものといわれても仕方がないような重大なる非違があつたものといわねばならない。
四、原告の提出援用にかかる爾余の証拠によるも前叙認定を覆えすには足らず、右に反する原告本人の供述部分は上叙各証拠に照してにわかに措信できない。
以上認定のとおり、本件審問院の判定には何等違法のかどがなく、従つて不法行為の成立をも認める余地がないので、爾余の点に関する判断を経るまでもなく、原告の本訴請求はすべてその理由なきものとして排斥を免がれない。よつてこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 小石寿夫 細見友四郎 井野口勤)